交詢社「日本紳士録」によれば
初版 M22 掲載なし
2版 M25 掲載なし
3版 M29 p.647
徳次郎氏
水車業
税7.980 地租 53.650
下渋谷796
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780092/398
4版 M30 p.590
徳次郎氏
水車業
税 8.010
下渋谷796
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780093/357
5版 M32 p.470
徳次郎氏
水車業
税 7.990
下渋谷796
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780094/306
6版 M33 p.525
徳次郎氏
水車業
下渋谷796
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780095/312
7版 M34 p.593
徳次郎氏
水車業
下渋谷796
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780096/346
と、ここまでは、徳次郎氏が、おそらく「多額納税者」枠で掲載されている。
次版からは、徳次郎氏にかわり、虎治郎氏が掲載されるようになり、しかも、職種、住所に変化が生ずる。
8版 M35 p.520
虎治郎氏
商業
税 5
下澁谷1022
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780097/315
9版 M36 掲載なし
この間、国会図書館のデジタルデータではトレースできず
12版 M41 p.620
虎治郎
丸朝商、精米業店
税 54×120(所得税×営業税)
下澁谷1022
電話 新(橋)2430
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780100/360
■この…
下渋谷1022 *という場所は
渋谷橋のすぐ脇にあって、下渋谷796に比べれば繁華だった場所であるうえ、
朝倉家の従前の菩提寺である、曹洞宗福昌寺(猿楽雑記p.96)から中通り(現明治通り)を挟んで至近の場所でもある
明治44年のいわゆる「郵便地図」 https://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/home51files/Shibuya-Toyo_CHOSON/Shibuya-Toyo_CHOSON_kmview-zoom.html |
明治7年に朝倉水車を開業するまでは、朝倉家の本拠の地だった可能性がある。
*東京市区調査会「東京市及接続郡部地籍台帳」同/M44・刊
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934
では、この下渋谷1022は掲載地域外となっている
大正中頃の中通り(明治通りの原型)の開通で1022番地は分断された |
分断された1022番地のうち、東半分は、ほぼ明治通りに取り込まれ、西半分は最西端が、東3丁目60番地の一部になっている模様である。
【追記】
13版 M42 p.646
虎治郎
丸朝商店、精米業
税 116×215(所得税×営業税)
下澁谷796
電話 新(橋)2430
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780101/373
【追記】
ここまでの時期については、あまり関連はなさそうなのだが、
朝倉徳道編著「猿楽雑記」同/2007・刊
掲載の一族の集合写真をみると、交詢社と縁の深い「慶應だらけ」である。
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