2019年1月6日日曜日

交詢社「日本紳士録」にみる朝倉家

■初期の…

交詢社「日本紳士録」によれば

初版 M22  掲載なし

2版 M25  掲載なし

3版 M29  p.647
 徳次郎氏
 水車業
 税7.980 地租 53.650
 下渋谷796
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780092/398

4版 M30 p.590
 徳次郎氏
 水車業
 税 8.010
 下渋谷796
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780093/357

5版 M32  p.470
 徳次郎氏
 水車業
 税 7.990
 下渋谷796
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780094/306

6版 M33  p.525
 徳次郎氏
 水車業
 下渋谷796
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780095/312

7版 M34 p.593
 徳次郎氏
 水車業
 下渋谷796
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780096/346

と、ここまでは、徳次郎氏が、おそらく「多額納税者」枠で掲載されている。
次版からは、徳次郎氏にかわり、虎治郎氏が掲載されるようになり、しかも、職種、住所に変化が生ずる。

8版 M35 p.520
 虎治郎氏
 商業
 税 5
 下澁谷1022
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780097/315

9版 M36  掲載なし

この間、国会図書館のデジタルデータではトレースできず

12版 M41  p.620
 虎治郎
 丸朝商、精米業店
 税 54×120(所得税×営業税)
 下澁谷1022
 電話 新(橋)2430
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780100/360

■この…

下渋谷1022 *という場所は
渋谷橋のすぐ脇にあって、下渋谷796に比べれば繁華だった場所であるうえ、



朝倉家の従前の菩提寺である、曹洞宗福昌寺(猿楽雑記p.96)から中通り(現明治通り)を挟んで至近の場所でもある


明治44年のいわゆる「郵便地図」
https://www.tokyo-23city.or.jp/base/archive/home51files/Shibuya-Toyo_CHOSON/Shibuya-Toyo_CHOSON_kmview-zoom.html


明治7年に朝倉水車を開業するまでは、朝倉家の本拠の地だった可能性がある。

*東京市区調査会「東京市及接続郡部地籍台帳」同/M44・刊
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/800934
 では、この下渋谷1022は掲載地域外となっている



大正中頃の中通り(明治通りの原型)の開通で1022番地は分断された





















分断された1022番地のうち、東半分は、ほぼ明治通りに取り込まれ、西半分は最西端が、東3丁目60番地の一部になっている模様である。

【追記】

13版 M42  p.646
 虎治郎
 丸朝商店、精米業
 税 116×215(所得税×営業税)
 下澁谷796
 電話 新(橋)2430
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780101/373


【追記】

ここまでの時期については、あまり関連はなさそうなのだが、

朝倉徳道編著「猿楽雑記」同/2007・刊

掲載の一族の集合写真をみると、交詢社と縁の深い「慶應だらけ」である。


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