2019年3月21日木曜日

旧朝倉家住宅の「進取」

■旧朝倉家住宅は…

「近代和風建築」の範疇にあるといわれる。
しかし、近代和風に区分されている建築物は、あまりにまちまちであり、極端な意匠としては目黒雅叙園(残存している初期の建築物である「百段階段」)

【参考】

目黒雅叙園 百段階段の下から2室目「漁樵の間」


まで、その範疇に入るようであり、ここまでくると「近代和風」という、あえていえば「野放図」な概念自体に存在意義があるのか疑わしくなる。

■このように…

幅が広すぎて捉えどころのない区分の中で、あえて、旧朝倉家住宅をその中の中区分に分類しようとすれば、
・「木」を強調した、古典的な造作といい
鈴木報告書*p.32で、座敷群には、銘木や豪奢な螺鈿などの細工などはなく」というのは指摘のとおりだし、支払帳**をみても、一般的な建材である、スギ、マツ、ヒノキ以外の、「銘木」レベルと目される木材の購入記録は、楠、ケヤキ(と、米松)に限られていることからも、確かではある。
・控えめの装飾といい
装飾はほとんどが(工期の制約があったのかもしれないが)建具に施された絵画や浮き彫りであり、壁自体に絵付されているのは、2階大座の敷違い棚脇の花頭窓周囲だけと思われる

    
近代和風」と呼ぶことができそうである。

■それでも…

仔細に見ると、旧朝倉家住宅にも、「近代」言い換えれば「進取」的な仕様をみることができる。

以下は、2019年代官山大学で、時間が余ったときの予備用に作ったプレゼンであり、今後順次解説を補充する予定である。




赤塗が内廊下



江戸期の武家屋敷のような部屋割りの和風の住宅に、「取って付けたような西洋館」が付く
和洋の融合を論ずる以前のプランだが、逆に「洋館がある」ことを強調(自慢?)したい
建て主のニーズには適合していたのではなかろうか。



施主の虎治郎氏のアイデアか、棟梁の大政のアイデアかは不明
しかし、多くの来客のあることが想定された、この住宅には適合している。




ドイツ下見は、下見板自体が壁の一部であるのに対し、
ささら〔筅〕子下見は、その裏の土壁が壁であって、
下見板は風雨からそれを保護するため外部から嵌め込むパネル状の「カバー」である



よくよくみると全く違うデザインだが、違和感なく「つながっている」





通常の天井からのペンダントによる照明(しかも今ほど明るくない)では、2間の境界部に「陰翳」が生じる




どう考えても、吊束両面のブラケットで境界部を照明し、2間続きの宴会に使うための工夫であろう
           * 確か、山名先生から伺ったのだと記憶しているが、吊束のブラケットは他にも類例があるらしい

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